『日々のみことばと祈り』について

『日々のみことばと祈り』(レグ・ラング著)について

本書は『みことばからの日々の瞑想と祈り』の題名で今をさかのぼる22年前、1992年11月に新教会文庫(これは林道夫さんの当時の出版活動の母体でした)から私が自費出版した2作目を書きなおしたものです。300部(無料頒布)つくり、いろいろな方に寄贈したので、お持ちの方もいるでしょう(1作目は同年4月発行の『夢日記』です、私は45歳でした)。

お持ちなら、比べてみれば、「ずいぶん変わったな」とわかるでしょう。体裁・組版も、激変していますが、内容も、すなわち、訳し方も変化しています。わたしの20年間の「進化?」がわかるかもしれません。さて、「この訳書を金丸道子姉にささげる」に関わることについてもここで述べておきましょう(同姉はさる4月29日朝7時に亡くなりました、享年85歳)。

初対面は私が静思社を初訪問した1989年(平成元年)1月です。それまでずっと静思社刊行の著作を読んでいましたが、柳瀬さんがどのような方か知りたくなり、年号も変わったのを良い機会として、新年早々、訪問したのでした。それ以来、新教会の教会活動にずっと関わってきましたので、私の新教会の教会歴は平成の年数とちょうど同じとなります。

さて、静思社には定年退職された金丸さんが出版活動のお手伝いによく見えていました。そのとき彼女は一目見て「この方は新教会でなくてはならない働きをする人だ」と感じた、と私にしばしば語っています。

さて、同年の秋にはジェネラルチャーチのヤンギー師が来日され、日本でのジェネラルチャーチの活動が始まりました。1990年キング主教が来日された時、多くの方が受洗されましたが、私もその一人です。1991年6月、私たち夫妻は金丸さんとともにジェネラル・アセンブリ(ミシガン湖畔、ミルウォーキーとシカゴの中間にあるケノーシャ大学で)に参加しました。その大会の前にフィラデルフィア郊外のブリン・アシンを訪れました。そのときの私たちのホームステイ先がアン・シネストヴェット邸でした。今はやりの「赤毛のアン」に家に似ていたのでしょう、金丸さんは「赤毛のアンの家のようだ」と言いました、しかし、「赤毛のアン」原題名も著者(モンゴメリですが、そのときはわからない)も知らないので、アンさんに通訳することは、どうしてもできませんでした。

私は1992年にヤンギー師(このとき私の家に泊まりました)と一緒に相馬を訪問しました。彼女とはこうした交流があったので当時手掛けていた訳書に献辞をささげることとしました。

この献辞をこのブックレットにも載せたい、と許可を得た電話が彼女との最後の話しとなりました。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第4号に掲載