読みやすさを求めて

読みやすさは美しさに通じる
本など「読みやすい」ことが求められます。これにれは「内的なもの」と「外的なもの」が考えられます(このように考えるのはスヴェーデンボリを学んでいるから)。
内面的には「文章」そのものです。これもまた論じれば長くなりますが、簡単に言えば「達意の文」すなわち、誤解なく、解読に苦しまず、「意味がよく通じる」文であり、頭の良い人はこうした文をあまり苦労することなく書きます(私はやや苦労していますが)。こうしたことは、別にまた述べる機会があるでしょう、ここでは外面的なことだけに触れます。これは「わかりやすい」事柄でしょう。
文面を眺めて何を感じるでしょうか? もしその文が「細かい文字でぎっしり」書かれていたら、それだけで「むずかしそうだな」と感じてしまいませんか?
すなわち 1なるべく大きな活字にする 2 スペースをとる——これには次のことが考えられます (2-1) 適当に改行をする (2-2) 段落では「行空け」をする(この行空けも1行幅だけでなく、半行幅なども)(2-3) 「章」などまとまりのある文では「改ページ」(改丁)する。
これだけで見やすく、そして読みやすくなるでしょう

またこれとは異なり、スヴェーデンボリ出版での出版物は「字体」と「文体」も工夫しています。
1 字体は三つ用いています(見出しとしてゴシック体を含めれば四つ)。
本文は通常「明朝体」です。一番よく用いられる書体であり、これは奇をてらう必要はないでしょう。聖書からの引用文は「楷書体」です。しっかりした書体であり、みことばにふさわしいと思っています。これとは別に他の書物からの引用文があります、スヴェーデンボリ自分の他の著作やまた他の書物の文です。これには「教科書体」をしました。地の文ではなく「引用」であることがよくわかるようにです。また、メモラビリアのように霊界での体験記のようなものは説明文ではなく「体験談」なので、「教科書体」としました。こうすることで、文面だけから内容がすぐ判断できます。
2 文体は常体(だ・である調)と敬体(です・ます調)
文体は二つあります、論文や報告文は通常「常体」で書きます。このほうがきびきびして、ある意味で読みやすいです。また説明文(これは常体のこともあります)や話しことばは「敬体」です。お読みになっているこの文は「敬体」です。
さて、スヴェーデンボリの著作はどちらがよいでしょうか? 悩みました。柳瀬訳は「常体」、長島訳は「敬体」です。著作は説明・解説がおもなものであり、丁寧な、また柔らかい印象からも「敬体」としました。それでも「メリハリをつける」ために随所に常体を取り入れています。「見出し」は常体が絶好ですし、霊界の体験記であるメモラビリアも「報告文」として常体のほうが適しています。そのメモラビリアの中でも、天使とスヴェーデンボリ自身の話しことばは「敬体」としました。
以上の工夫から、当社の出版物を一目見て「美しい」と感じてもらえたならうれしいです。

これはよく「味わう」ことにも通じる
内容には触れずに外面的なことだけですが、これは意外と重要です。「著作」がぼろい紙質の粗末な装丁だったらどうなるでしょうか? 真価は普遍(不変)でしょうか? 立派な絵はそれにふさわしい額縁に入れてよく鑑賞できるものとなります。
実例を二つ上げましょう。一つはワインです。ワインは「飲むグラスによって味が変わってしまう」と言われます(高級なもの)。白と赤とはワイングラスの形状が異なります。舌の奥で飲むか先で飲むかで味わいが異なるからです(ワインを茶碗で飲むなどもってのほか)。ここからは中身(ワイン)にふさわしい外装(グラス)が重要であるとわかります。(次は〝常体〟の使用例)
もうひとつ「料理」では何が大切か。新入りは食器や鍋洗いをさせられ、そのうち下ごしらえをさせられる、少し経験を踏めば料理そのものを作ることも任せられる。それでも最後まで任せられないものは何だろうか? それは何と最後の「盛り付け」である。見た目に「美しく」「うまそう」に見えるためである。
おいしく味わうには見た目も重要であり、これが味覚に働きかける。見た目で判断されてしまうことからは、婚礼の礼服を着ないで結婚の披露宴に入って来た者が追い出されたこと(「マタイ」第22章)を思い出す。すなわち、ふさわしい服装でなくてならないように、料理もふさわしい皿に美しく盛りつけなけらばならない。

このことが「著作」にも言えるでしょう。すなわち、「真理」にふさわしい「器」です。このことをスヴェーデンボリ出版は心がけています。すなわち、「著作」は原則、①上製本です。また②色は善に対応する「赤」(場合によって真理を意味する青もあるでしょう)、そして③文字は「金」です。
このように「外側」が整うことで、料理をおいしく感じるように、著作もじっくり味わい、楽しめるのではないかと思っています。

(22016年4月発行『SPSC会報』第 10号掲載記事/執筆者:鈴木泰之)