会報第5号を準備中です

『SPSC』第5号は、10月25日発行の予定で、編集作業を進めています。

以下のような内容を予定しています。

スヴェーデンボリ出版のめざすもの
これまでのスヴェーデンボリ神学著作の出版社との違い、方向性について
新刊案内『最後の審判』
本邦初のラテン語原典からの和訳書の紹介
近刊案内『“最大の人”とその対応』
神学著作『天界の秘義』から“最大の人”についての記述をまとめたものです。『宗教と生活』に続く、抄本シリーズとして刊行予定
用語・訳語の研究
霊界と霊たちの世界について

『日々のみことばと祈り』について

『日々のみことばと祈り』(レグ・ラング著)について

本書は『みことばからの日々の瞑想と祈り』の題名で今をさかのぼる22年前、1992年11月に新教会文庫(これは林道夫さんの当時の出版活動の母体でした)から私が自費出版した2作目を書きなおしたものです。300部(無料頒布)つくり、いろいろな方に寄贈したので、お持ちの方もいるでしょう(1作目は同年4月発行の『夢日記』です、私は45歳でした)。

お持ちなら、比べてみれば、「ずいぶん変わったな」とわかるでしょう。体裁・組版も、激変していますが、内容も、すなわち、訳し方も変化しています。わたしの20年間の「進化?」がわかるかもしれません。さて、「この訳書を金丸道子姉にささげる」に関わることについてもここで述べておきましょう(同姉はさる4月29日朝7時に亡くなりました、享年85歳)。

初対面は私が静思社を初訪問した1989年(平成元年)1月です。それまでずっと静思社刊行の著作を読んでいましたが、柳瀬さんがどのような方か知りたくなり、年号も変わったのを良い機会として、新年早々、訪問したのでした。それ以来、新教会の教会活動にずっと関わってきましたので、私の新教会の教会歴は平成の年数とちょうど同じとなります。

さて、静思社には定年退職された金丸さんが出版活動のお手伝いによく見えていました。そのとき彼女は一目見て「この方は新教会でなくてはならない働きをする人だ」と感じた、と私にしばしば語っています。

さて、同年の秋にはジェネラルチャーチのヤンギー師が来日され、日本でのジェネラルチャーチの活動が始まりました。1990年キング主教が来日された時、多くの方が受洗されましたが、私もその一人です。1991年6月、私たち夫妻は金丸さんとともにジェネラル・アセンブリ(ミシガン湖畔、ミルウォーキーとシカゴの中間にあるケノーシャ大学で)に参加しました。その大会の前にフィラデルフィア郊外のブリン・アシンを訪れました。そのときの私たちのホームステイ先がアン・シネストヴェット邸でした。今はやりの「赤毛のアン」に家に似ていたのでしょう、金丸さんは「赤毛のアンの家のようだ」と言いました、しかし、「赤毛のアン」原題名も著者(モンゴメリですが、そのときはわからない)も知らないので、アンさんに通訳することは、どうしてもできませんでした。

私は1992年にヤンギー師(このとき私の家に泊まりました)と一緒に相馬を訪問しました。彼女とはこうした交流があったので当時手掛けていた訳書に献辞をささげることとしました。

この献辞をこのブックレットにも載せたい、と許可を得た電話が彼女との最後の話しとなりました。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第4号に掲載

訳語・用語の研究ー「内部・外部」を意味する言葉について

「内部・外部」を意味する言葉について

スヴェーデンボリ著作の読者は「内的な」と「内なる」の言葉の区別をどう理解されているでしょうか? 柳瀬訳は英訳に基づいて厳密な使い分けをしています。スヴェーデンボリ出版でも厳密に使わけをしています。

スヴェーデンボリは「段階の相違」を表わすために三つの言葉を使用しています。その有名なものは「天的」「霊的」「自然的」の三段階です。ここでは内部と外部の三段階を述べます。

ものの内部にも外部にも三段階あり、平たく言えば内部に向かって①内側 ②内部 ③最内部があり、外部に向けても①外側 ②外部 ③最外部です。このままでもよいのですが、著作ではこれらを次の形容詞で訳してあります。
① 内的な(interior) ② 内なる(internus) ③ 最内部の(intimus)
① 外的な(exterior) ② 外なる(externus) ③ 最外部の(extremus)
英訳ではそれぞれ① interior ② internal ③ inmost と① exterior ② external ③ outmostです。

この違いのしっかり頭に入れて読めば、著作の理解が深まるかと思います。

なお、interior homoは「内的な人間(人)」、innternusは「内なる人」であり、この違いについては『天界の秘義』1594:5番をお読みください。1702:2番も参照。

よくつかわれる「内意」は原語で sensus internus であり、このままなら「内なる意味」ですが、これを簡略して「内意」と訳しています。

このような言葉が著作のどこに定義されているか、知りたいと思う読者が多いかと思います。それで現在、スヴェーデンボリ自身の定義による『用語集』に取り組んでいます。ある理由から来年にはぜひ出版したいと願っています。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第4号に掲載

CURA ET LABORE

スヴェーデンボリ出版で出されているスヴェーデンボリの著作では、その内表紙のラテン語の題名とともに「庭園で天使が鉢植えの植物に水を注いでる絵」がよく使われています。
これはアムステルダムで出版されたスヴェーデンボリの著作のその扉絵と同一のものです(ロンドンで出版されたものには付いていません)。
この絵の庭園はスヴェーデンボリ自身の庭と似ています(『スヴェーデンボリ叙事詩』411ページ参照、なおスヴェーデンボリは植物栽培が趣味でした、同じく『同書』第28章)、するとその天使はスヴェーデンボリのことでしょうか。
さて、陰影がはいってやや読みづらくなっていますがその絵の上方に題字「CURA ET LABOREの文字があります。ラテン語で「世話と労働をもって」という意味です(curaもraboreも奪格なので英語なら〝with care and with labor”でしょう)。
スヴェーデンボリ(天使)が植物を「cura et rabore」育てているように、私たちも、スヴェーデンボリが蒔いた植物を、すなわち、その著作を「cura et rabore 」読み、学びたいものです。

 (鈴木泰之)『SPSC会報』第3号に掲載

 cura et labore

『信仰について』の訂正個所

(★印は特に重大です、省いたものもあります)

目次           1 信仰は…内なる承認… ⇒ 信仰は…内的な承認…
1ページ1行目        …内なる承認… ⇒ …内的な承認…
1ページ5行目        …知らないことの… ⇒ …知らない者の…
1ページ6行目        …ある者がある者に語ったこと… ⇒ …ある者から他の者へ の教令…
1ページ最終行       …ものは理解できない ⇒ ものを理解することができない
2ページ8行目        これらことは ⇒ これらのことは
2ページ最終行       …信仰の下に従順で… ⇒ …信仰の服従の下に…
5ページ8行目 ★      話すことや反駁すること… ⇒ 矛盾しないで話すこと…
5ページ9行目 ★     …できないからです。 ⇒ …できるからです。
7ページ5行目        それ真理への… ⇒ その真理への…
9ページ13行目       …存在すように… ⇒ …存在するように…
10ページ9行目      ようもの… ⇒ ようなもの…
15ページ最終行       …生活ための… ⇒ …生活のための…
16ページ11行目 ★  …善の真理は… ⇒ …善の知識は…
16ページ12行目     空っぽとなっている信仰… ⇒ 空虚で無意味な信仰…
17ページ5行目     …純粋な知識… ⇒ …正しい知識…
17ページ6行目    信仰つくり、多く知識は ⇒ 信仰をつくり、多くの知識は
17ページ6行目    明確な信仰を ⇒ 照らされた信仰を
19ページ最終行     活気づけられこと ⇒ 活気づけられること
24ページ4行目 ★  …御子の義ゆえに… ⇒ …御子の功績ゆえに…
25ページ2行目 ★  …御子の義が転嫁… ⇒ …御子の功績が転嫁…
25ページ9行目    教える者は… ⇒ 学識ある者たちは…
25ページ16行目    …けれでも… ⇒ …けれども…
31ページ7行目    かし彼おまえ… ⇒ かしおまえ
31ページ8行目    彼らこの… ⇒ 彼らにこの…
34ページ4行目    彼らのものとに… ⇒ 彼らのものに…
36ページ1行目      …多くこと ⇒ …多くのこと
36ページ13行目    …預言のみことば… ⇒ …預言書のみことば…
36ページ4行目     支配することへ愛… ⇒ 支配することへの愛…
44ページ10行目  …長たらしいを ⇒ …長たらしい
47ページ6行目     後者が霊的な… ⇒ 前者が霊的な…
47ページ10行目   牛と羊群れ… ⇒ 牛と羊の群れ… 〔以上〕

(なお、最初の訂正個所「内なる」と「内的な」については次号「訳語・用語について」で取り上げたいと思っています。この言葉をスヴェーデンボリは厳密に使い分けています)

(『SPSC会報』第1号掲載記事より)