訳語・用語の研究ー単数と複数の違いについて

現在『スヴェーデンボリ用語辞典』に取り組んでいます。そこで気づいたことがこの記事を書くきっかけです。日本語では、ある言葉が単数であるか複数であるかをそれほど意識しません。単数・複数の違いは文脈からわかるようになっています。そして代名詞なら、「それ」と「それら」また、「彼」と「彼ら」のように、また一部の名詞なら「山」と「山々」、「木」と「木々」などで表わしてその違いを示すこともありますが、通常は「犬」といえばすませて、「犬」か「犬ども」の区別はしません(というよりも「犬ども」と言えば、別の意味合いを持ってきます)。
ところが『用語辞典』では見出し語が異なっています、すなわち「善」の見出し以外に「善(複数)」の見出しがあります。これは、「真理」や「快さ」等々でも同じです。

なぜ、見出しが異なるかといえば、数が一つか多数かではなく、意味する内容が異なるからです! 上記の「別の意味合い持ってくる」例としては善(bonus)の複数(bona)には「善行」以外に「財産」の意味もあります。
一般論を述べます。この例のように単数は抽象的な内容を表わします(性が〝女性〟の場合は特にそうです)。英語なら不定冠詞「a」をつけるところでしょう。ところが複数は(それも〝中性〟の場合)個々の「具体的な事柄」を表わします。善でいえば個々の「善行」です。善が具体化されたものです。もう一つの例として形容詞「快い」をとれば、中性複数の実詞なら「愉快な事柄・楽しいこと」などを意味します。「美」が複数なら「美しいもの」です。
それで訳すときは、単数なら「善」のままですが、複数の場合「善いこと・善いもの」などとして、より具体的ものを指していることがわかるようにしなければなりません。
なお、『用語辞典』では、「真理(複数)」と、ある語の後ろに複数を付けて表記をすることにしました。

 (鈴木泰之)『SPSC会報』第6号に掲載

訳語・用語の研究 霊界と霊たちの世界について

原語では霊界がMundus Spiritualis、霊たちの世界がMundus Spiruumです。mundusが「世界」、spiritualisが形容詞「霊的な」、spirituumはspitus「霊(「息」などの意味もあります)」の複数属格で「霊たちの」です。  

それで「霊的な世界」⇒「霊界」となり、もう一つはそのままの訳です。  「霊界」は、この世・自然界に対して、総称として使われます。「あの世」とも言えます。その内訳は天界、地獄、それと「霊たちの世界」です。  

「霊たちの世界」は、(死んで)霊界に新たに到着した霊が連れて来られる世界です。「精霊(せいれい)」と言う言葉があり、その意味は「死者の霊魂。肉体を離れた死者の魂」(『大辞林』)なので、この言葉を使って「精霊界」と訳すことも可能ですが(鈴木大拙訳・長島訳)、「せいれい」と言う言葉、また「霊界」に一字加えた「精霊界」は、まぎらわしいこともあり、わかりやすく(と思います)、「霊たちの世界」としています。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第5号に掲載

会報第5号を準備中です

『SPSC』第5号は、10月25日発行の予定で、編集作業を進めています。

以下のような内容を予定しています。

スヴェーデンボリ出版のめざすもの
これまでのスヴェーデンボリ神学著作の出版社との違い、方向性について
新刊案内『最後の審判』
本邦初のラテン語原典からの和訳書の紹介
近刊案内『“最大の人”とその対応』
神学著作『天界の秘義』から“最大の人”についての記述をまとめたものです。『宗教と生活』に続く、抄本シリーズとして刊行予定
用語・訳語の研究
霊界と霊たちの世界について

会報第4号発送のお知らせ

SPSC会報』第4号を6月25日に発行し、会員の皆様に発送しました。
なお、会報とともに、6月19日に発行されたブックレットNo.8『日々のみことばと祈り 後期 7月〜12月』もお送りしました。

7月1日〜12月31日までの記事が収載されていますので、日々のみことばの学びに役立てていただきたく願っています。

次回のブックレットシリーズは、『死とその後』(R・W・ケニョン編)を予定しています。その内容については、会報第4号で紹介していますので、そちらをごらんください。

 

 

『日々のみことばと祈り』について

『日々のみことばと祈り』(レグ・ラング著)について

本書は『みことばからの日々の瞑想と祈り』の題名で今をさかのぼる22年前、1992年11月に新教会文庫(これは林道夫さんの当時の出版活動の母体でした)から私が自費出版した2作目を書きなおしたものです。300部(無料頒布)つくり、いろいろな方に寄贈したので、お持ちの方もいるでしょう(1作目は同年4月発行の『夢日記』です、私は45歳でした)。

お持ちなら、比べてみれば、「ずいぶん変わったな」とわかるでしょう。体裁・組版も、激変していますが、内容も、すなわち、訳し方も変化しています。わたしの20年間の「進化?」がわかるかもしれません。さて、「この訳書を金丸道子姉にささげる」に関わることについてもここで述べておきましょう(同姉はさる4月29日朝7時に亡くなりました、享年85歳)。

初対面は私が静思社を初訪問した1989年(平成元年)1月です。それまでずっと静思社刊行の著作を読んでいましたが、柳瀬さんがどのような方か知りたくなり、年号も変わったのを良い機会として、新年早々、訪問したのでした。それ以来、新教会の教会活動にずっと関わってきましたので、私の新教会の教会歴は平成の年数とちょうど同じとなります。

さて、静思社には定年退職された金丸さんが出版活動のお手伝いによく見えていました。そのとき彼女は一目見て「この方は新教会でなくてはならない働きをする人だ」と感じた、と私にしばしば語っています。

さて、同年の秋にはジェネラルチャーチのヤンギー師が来日され、日本でのジェネラルチャーチの活動が始まりました。1990年キング主教が来日された時、多くの方が受洗されましたが、私もその一人です。1991年6月、私たち夫妻は金丸さんとともにジェネラル・アセンブリ(ミシガン湖畔、ミルウォーキーとシカゴの中間にあるケノーシャ大学で)に参加しました。その大会の前にフィラデルフィア郊外のブリン・アシンを訪れました。そのときの私たちのホームステイ先がアン・シネストヴェット邸でした。今はやりの「赤毛のアン」に家に似ていたのでしょう、金丸さんは「赤毛のアンの家のようだ」と言いました、しかし、「赤毛のアン」原題名も著者(モンゴメリですが、そのときはわからない)も知らないので、アンさんに通訳することは、どうしてもできませんでした。

私は1992年にヤンギー師(このとき私の家に泊まりました)と一緒に相馬を訪問しました。彼女とはこうした交流があったので当時手掛けていた訳書に献辞をささげることとしました。

この献辞をこのブックレットにも載せたい、と許可を得た電話が彼女との最後の話しとなりました。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第4号に掲載