原典勉強会『原典を読もう』のご案内

SPSCでは「めざすもの」として、いろいろな取り組みを計画しています。その一つには「勉強会」を開くことも視野にあります。その最初のものとして以下の要領で『原典を学ぼう』を企画しました。

まったくの初心者、しかし、原文を読んでみたい、その息吹を少しでも感じたい、という人を対象としています。最初はともかく「慣れる」ことを主目的としています。すすんでご参加ください。

期日: 7月5日(日)午後2時~4時(これ以前にジェネラルチャーチ東京の勉強会があります)
場所:タワーホール船堀405号室(地下鉄新宿線、船堀駅前)
内容:①ラテン語全般(文字・発音など)
②ラテン語の文章とは(英語との違い・句読法))
③品詞
④「例文」から学ぶ(付記参照)
⑤質疑応答(質問は随時可)
初心者からある程度学んだ方まで幅広く対応するつもりです、堅苦しい内容は決して考えていません。ラテン語にこだわらず、スヴェーデンボリを学ぶ上で有益なものを目指しています。

付記:
①ラテン語の予備知識は不要(ただし、スヴェーデンボリの原典がラテン語で書かれているという知識、中学・高校程度の英語は学んでいることは前提とします)。
②テキストとして原典対訳No.1『スヴェーデンボリの印象的なことば』使用。(お持ちでない方には当日も用意しますが、できれば事前に購入し、予習しておいてください)
③テキストからの例文は「1」(文とは何か)「120」(簡単なもの)「143」(摂理と幸福)「187と193」(役立ちと幸福)「VCR3」(最後に勉強会 の締めくくりとして)。
これらの「例文」を取り上げますので、予習として事前に最低3回は原文に目を通しておいてください(できれば、訳文と照らし合わせて10回、すると、おぼろげながら読めてくるでしょう)。
④講師はSPSC事務局員であり、数々の翻訳を出版している鈴木之が担当します。参加費は1,000円で、受講者には新刊『原典対訳 霊魂と身体の交流』を贈呈します。

訳語・用語の研究ーBishopの訳語は? Swedenborgの名前は?スヴェーデンボリ

Bishopの訳語は?

私たちは「主教」  これは訳語というよりも用語、またラテン語でなく英語の問題です。  『コロニス』(『真のキリスト教の増補』)の17番に、人間に「頭」「身体」「足」があるように教会にも三つのものがあると書かれています。すなわち、Prima、Antistites、Faminesです。ジェネラルチャーチでもこれを取り入れており、それぞれ英語でBishop、Paster、Ministerとしています。
さてbishopは〖プロ〗監督、〖ギ正教・英国国教〗主教、〖カト〗司教…〖仏教〗僧正とあります。これ以外の新しい訳語をつくることも考えられますが、従来の訳語を使うのが普通でしょう。さて私たちはどの訳語を用いればよいでしょうか。もう少し説明すれば、プロテスタント教会では従来「監督」を使っていましたが、今では一部の派を除いて使われなくなりました。聖職者の間の階層制度をなくしたのが主な理由です。それで、牧師を任命できる権限としての監督はなくなり、今では聖職者会議の議長がその任にあたっているようです。
新教会は最初イギリスで発生したこともあって、そこでは英国国教会[聖公会]の様式を多々取り入れています。すなわち、ジェネラルチャーチでも祭壇を設け、ひざまずいて祈るなど行なっています。それで、その聖職者の名称としては「主教」がふさわしいものとなります。なお、司教はカトリックで使われている言葉なので、これとは別とした方がよいでしょう。
(このことはここで出版する『新教会の特殊性』の著者デ・チャームズ主教の「主教」について説明しておくのがよいと思ったからです、なお日本でジェネラルチャーチが広まったのは「アルカナ出版」が設立されてから1990年に6代目のキング主教が来日したあたりからです)

 Swedenborgの名前は?スヴェーデンボリ  

従来、スウェーデンボルグが使われていました(今でも)。だれが、いつ使い始めたか、私は知りません。ただ、その根拠は「英語読み」からでしょう。というのは、ヨーロッパ言語では「w」は通常「ヴ」と発音するからです。それで国名スウェーデンは正しく発音すればスヴェーデンです。  さて、地名や人名は現地音で現わすようになって久しいです、例えば地名「ヴェニス」は「ヴェネツィア」、人名「モハメッド」は「ムハンマド」などなど。

(鈴木泰之)『SPSC会報』第7号に掲載

訳語・用語の研究ー単数と複数の違いについて

現在『スヴェーデンボリ用語辞典』に取り組んでいます。そこで気づいたことがこの記事を書くきっかけです。日本語では、ある言葉が単数であるか複数であるかをそれほど意識しません。単数・複数の違いは文脈からわかるようになっています。そして代名詞なら、「それ」と「それら」また、「彼」と「彼ら」のように、また一部の名詞なら「山」と「山々」、「木」と「木々」などで表わしてその違いを示すこともありますが、通常は「犬」といえばすませて、「犬」か「犬ども」の区別はしません(というよりも「犬ども」と言えば、別の意味合いを持ってきます)。
ところが『用語辞典』では見出し語が異なっています、すなわち「善」の見出し以外に「善(複数)」の見出しがあります。これは、「真理」や「快さ」等々でも同じです。

なぜ、見出しが異なるかといえば、数が一つか多数かではなく、意味する内容が異なるからです! 上記の「別の意味合い持ってくる」例としては善(bonus)の複数(bona)には「善行」以外に「財産」の意味もあります。
一般論を述べます。この例のように単数は抽象的な内容を表わします(性が〝女性〟の場合は特にそうです)。英語なら不定冠詞「a」をつけるところでしょう。ところが複数は(それも〝中性〟の場合)個々の「具体的な事柄」を表わします。善でいえば個々の「善行」です。善が具体化されたものです。もう一つの例として形容詞「快い」をとれば、中性複数の実詞なら「愉快な事柄・楽しいこと」などを意味します。「美」が複数なら「美しいもの」です。
それで訳すときは、単数なら「善」のままですが、複数の場合「善いこと・善いもの」などとして、より具体的ものを指していることがわかるようにしなければなりません。
なお、『用語辞典』では、「真理(複数)」と、ある語の後ろに複数を付けて表記をすることにしました。

 (鈴木泰之)『SPSC会報』第6号に掲載